直正公と貢姫さまはお手紙と一緒にいろいろな品も送りあっていました。今回はその中でも貢姫さまから直正公へ送られた品々の一部をご紹介します。
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安政5年(1858)4月1日付のお手紙に、貢姫様から直正公へ送られた品々へのお礼が記されています。 「おもちゃを沢山、お恒に送っていただき嬉しく思います。―(中略)― 菓子も送っていただいたとのこと、ありがとうございます。まだ到着しておりませんが、まずはお礼まで」 恒姫(のちに宏姫と改名)(※1)は貢姫さまの妹で、嘉永4年(1851)に直正公の二女として生まれました。8歳になる妹のためにたくさんのおもちゃを送っていることが分かります。これ以外にも簪や文庫など、貢姫様はしばしば妹のためにプレゼントを送っていました。 |
ある日、「竜眼肉」が直正公から貢姫さまへ贈られました。貢姫さまも気になった「竜眼肉」とはいったい…?安政5年(1858)6月24日付の直正公のお手紙にこう記されています。
【翻刻】 「左様候得は、此程錫箱ニ入れ遣候品は何かと尋遣候、右は竜眼肉かと覚へ申候、右の内の実、食用いたし候得は、百迄も長寿いたし候ものニ御座候」 【現代語訳】 「先だって、錫箱に入れて送った品は何かとのお尋ねですが、あれはたしか竜眼肉だったかと覚えています。その実を食べれば百歳までも長寿できるというものです。」 |
竜眼肉とは、日本ではあまり聞き馴染みのない食べ物ですが、ライチによく似た果実で、漢方薬に用いる生薬の一つであります。娘の体を気遣う様子が分かります。
また、同じお手紙の中にこんな記述があります。
【翻刻】 「且又ヘヒ除江戸のゟ川越のよろしき趣、早速遣し、無此上大怡いたし候、御礼山々申入候、且又、水上(※2)雷除之事被申遣、即申付置候、不遠遣し可申候」 【現代語訳】 「へび除けは、江戸のものよりも川越のものがよいとのことで早速に送って下さり、この上なく嬉しく思いました。厚くお礼申し上げます。また、水上の雷除けのことは、すぐに手配するよう指示を出しておきました。近いうちにお送りできるでしょう。」 |
名君と言われる直正公ですが、実はへびが大の苦手でした。外出の際にはへびを追い払う係がいたほどです。そのため、江戸のものより効果があると言われる川越の「へび除け」(お札)はとても嬉しかったご様子です。その代わり…とは少し違うかもしれませんが、直正公からは雷除けが貢姫様に送られています。貢姫さまは雷が苦手だったんですね。
今回ご紹介した品以外にも川越と佐賀の名産品や甘味、書籍、短冊などをお互いに送りあっていました。時には季節の草花を送ることもありました。おふたりのように、相手の事を思いながら贈り物を選ぶ時間も楽しいものですよね。それは今も昔も変わらないのかもしれません。
※1:恒姫(1851~1919)
宏子。熊本藩主細川護久に嫁ぐ。
※2:水上山万寿寺(佐賀市大和町)