直正公は西洋の科学技術に深い関心があり、その技術を積極的に導入しました。中でも安政5年(1858)の蒸気船の入手は直正公の念願だったこともあり、貢姫さまへ宛てた手紙の中にも度々蒸気船の話題が出てきます。
佐賀藩がオランダに注文していた蒸気軍艦「長崎」(のちに「電流丸」と改名)が、安政5年10月9日に長崎に入港しました。直正公は早速11日に乗船し、その時の様子をお手紙の中でこのように伝えています。
【翻刻】 「此度、爺誂之蒸気船、夫ハ夫ハ飛立様ニ嬉しく存参らせ候、不取敢乗移り致一覧候処、殊外竒れいなる舩ニて、別而楽しみニ存まいらせ候、右舩ニ此度乗渡り候船頭之女房参り、色々もてなし申候、是ハ別而珍敷存参らせ候、右女房、当年廿四歳之由ニて、七月はらと申居申候、目は猫之目之様ニて、鼻ハ高く髪ハ赤毛ニて候得共、色ハ白く餘程の美人と申ス事」 |
【現代語訳】
「この度、父が注文した蒸気船が届き、それはそれは飛び立つように嬉しかったです。とりあえず乗船して一覧したところ、とても綺麗な船で大変楽しみに思いました。この船でこの度乗ってきた船長の女房がやってきて、いろいろもてなしてくれました。これは大変珍しいことと思いました。この女房は今年二十四歳とのことで七月腹(妊娠七ヵ月)と言っていました。目は猫の目のようで、鼻は高く髪は赤毛ですが、色は白くよっぽどの美人と言えます」
さらにこの後にも「美女」(オランダ人艦長夫人)とのやりとりを詳細に書き綴っています。お手紙の内容から直正公が蒸気船を心待ちにしていたこと、そして念願叶って蒸気船を入手できたことをとても喜んでいる様子が伝わってきます。
白帆注進外国船出入注進(電流丸)(公益財団法人鍋島報效会所蔵/佐賀県立図書館寄託) |
10月に長崎へ入港し試乗した蒸気船は11月6日には受取が完了し、「電流丸」と名付けられました。翌年4月11日付のお手紙では、近いうちに子どもたちと一緒に乗船する予定であると伝えています。
「1、2日の内には蒸気船(電流丸)に乗船予定です。今回は子どもたちも一緒に乗船予定なので、みな大喜びしております。」
直正公と子どもたちはこの手紙の翌々日(4月13日)に今津にて蒸気船へ乗船します。さらに翌々日の15日に直正公は貢姫さまへ蒸気船に乗ったとのお手紙を書かれますが詳細は「若(直大公)よりお伝えします」と記されており、残念ながらその時の詳しい様子はわかりません。しかし、これ以降も度々蒸気船「電流丸」で各地へ移動した事を直正公は貢姫さまへのお手紙の中で伝えています。厳格なイメージのある直正公ですが、愛娘へは念願の蒸気船を入手した喜びを素直な言葉で伝える面もあったことが分かります。