人が人を想い、言葉をかけ合うというつながりは、いつの時代も変わりません。
最近では電話やメール、オンラインでのやりとりが多くなり、直筆の手紙を書く機会が減ったという方も少なくないと思いますが、今からおよそ150年前の江戸時代末期、佐賀藩の10代藩主鍋島直正公と愛娘の貢姫さまは、お互いに多くのお手紙を送り合っていました。
貢姫さまは、直正公の第一子として天保10年(1839)に佐賀城で生まれます。7歳で江戸の佐賀藩邸に移り、盛姫さま(直正の正室)らの養育を受けました。17歳のときに川越藩主の松平直侯(なおよし)公と結婚しましたが、わずか6年後に夫を亡くされ、髪をおろして慈貞院と称します。慶応4年(1868)、江戸の情勢が不安になる中、心配した父のすすめで23年ぶりに佐賀へ帰郷。その後も鍋島家の庇護のもと80歳の天寿を全うし、大正7年(1918)に亡くなりました。 |
直正公は参勤交代のため江戸の藩邸と佐賀城を往復していました。ただ、長崎港に来航する外国船に対応する長崎警備という重要な仕事を幕府から任されていたため、佐賀に滞在する期間の方が長く、お二人が江戸で直接対面する機会は決して多くはありませんでした。
そんなお二人をつないだのがお手紙でした。貢姫さまは、父 直正公からのお手紙を大切にお手元に残され、今は鍋島報效会(徴古館)に伝わっています。その数、なんと191通。期間は嘉永6年(1853)から慶応2年(1866)までの13年間です。これは直正公が40歳~53歳、貢姫さまが15歳~28歳の時期にあたります。お手紙の頻度には波がありますが、単純に平均するとおよそ1ヵ月に1通となります。 |
お手紙には、貢姫さまのことを気遣う内容はもちろん、佐賀や江戸での日々のできごと、ご一家で過ごされた佐賀での楽しいひとときのことなども記されています。この連載では、そのお手紙の数々をご紹介します。ぜひ、大切な人を想いながらお読みください。
『愛娘への手紙―貢姫宛て鍋島直正書簡集―』(2020年発行)
10代佐賀藩主 鍋島直正が長女貢姫に宛てた手紙196通をまとめた資料集。直正自身の筆で素直な気持ちが綴られており、「名君」のイメージとは異なる直正公の人物像に迫りうる内容です。本書には手紙全てのカラー写真・翻刻文・現代語訳などを掲載しています。