第4回 佐賀のあつ~い夏

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 江戸時代も夏は暑いものです。今回のお手紙が書かれた安政4年(1857)の夏は、特に暑かったそうで…

 

来月はどうなることやら



上のお手紙は、この年の閏5月18日(新暦7月9日)付で、直正公が佐賀から江戸にいる長女の貢姫さま(当時19歳)に宛てたものです。前半部分には、次のような内容が書かれています。

【翻刻】
「御地当年は暑き如何候や、当表は例ゟは尚更暑気強く、此一両日抔は殊外強く、六月比ハ如何の暑サニ相成可申やと存候位ニ御座候」
【現代語訳】
「江戸は今年、暑さはいかがですか。佐賀は例年よりも暑さが強く、ここ一両日あたりは特に強いため、(来月の)六月頃はどのくらいの暑さになるだろうかと思いやられる程です。」

 

楽しく乗り切る!!

 直正公は、この猛暑をどのように乗り切られたのでしょうか。お手紙の続きには、何とも楽し気な様子が記されています。

【翻刻】
「余り近日は暑気強凌かね候ニ付、一昨日は皆々一同、河上ゟ多布施川筋其外涼之舟ゟ参り、狩其外いたし、大楽み致申候、子供抔別而大よろこひ賑々敷ニ而候、あゆ・はや澤山ニ取り申候、鰻も大総ニ取れ申し候」
【現代語訳】
「あまりにもここ数日は暑さが強く凌ぎかねたので、一昨日は皆揃って河上(川上)から多布施川筋周辺を納涼の舟で遊覧し、魚獲りなどをして大変楽しく過ごしました。子供たちは特に大喜びで賑やかでした。鮎や鮠がたくさん獲れ、また鰻も大漁でした。」

 この時の「子どもたち」とは、淳一郎(直大・12歳)や恒姫(7歳)、生三郎(4歳)のことと考えられます。7歳で佐賀から江戸に移った貢姫さまにとっては一度も会ったことのない弟や妹たちですが、彼らの喜ぶ姿を、お手紙を通してほほえましく思い浮かべたことでしょう。佐賀城での暑さと政務からしばし離れ、お子様方の無邪気さに目を細めながら「オフのひと時」を楽しまれた直正公の様子が伝わってきます。

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