こうのおちゃやず
江戸時代末期(19世紀) 紙本淡彩墨書
竪137.5cm 横130.3cm
神野御茶屋は、10代藩主鍋島直正公が弘化3年(1846)に造営した別邸。直正公時代には十五(じゅうご)御茶屋、水ヶ江御茶屋、欄干(らんかん)御茶屋などがあったが、なかでも神野御茶屋はもっとも宏壮を誇った。この絵図からは、「方百間」(約200m四方=約12,100坪)といわれ、近隣郷村からの数千人の献夫によって造営された神野御茶屋の宏大な規模をイメージできる。
泉水には西と東に渡場があり、東渡場には舟入が付属している。黄色の着色は建屋を示しており、北東に位置する「無限青山亭(むげんせいざんてい)」と、中島に建つ「茶雨庵(さうあん)」の間取りも表されている。無限青山亭の御式台や御入座には付箋が貼られており、江戸末期頃の改築事情を示した絵図と思われるが、その間取りは南側の「御入座・二ノ御間」を中心に一列並びの部屋が中庭を囲んで回型四方をなす部分と、南西部の泉水に面する別棟部分とで構成されている。一方の茶雨庵は、東西に並ぶ二間と池に張り出した「拭板」と縁側からなり、池泉に張り出した部分には「御手スリ」がつき、東側には花頭窓がついている。前月掲載の古写真とあわせ、往時の御茶屋を知る上で貴重な資料である。
本資料は、第58回展「神野御茶屋 ―殿様の別邸」展(平成24年9月24日~12月1日)に出品しました。