2011年4月 御城分間絵図

御城分間絵図

御城分間絵図

おしろぶんげんえず

寛政8年(1796)
竪163cm 横165cm

 佐賀城は四周を広大な堀に囲まれた平城である。その堀幅は江戸初期の寛永年間に最も広い地点で50間(≒100m)であった。ところが経年により次第に土手を抑える板が朽ち始め、堀端の土が崩落し堀幅が広がっていった。そこで享保20年(1735)、5代藩主鍋島宗茂は幕府へ補修許可願いを出しており、6代宗教が一部を修復したが財源を確保できず完遂しなかった。
それから数十年を経た寛政8年(1796) 8代治茂の時代、本格的補修のために作成されたのが本図である。堀幅補修にあたっては初代勝茂が正保2年(1645)に幕府へ提出した城絵図が基準とされており、現状の絵図上に朱線で「正保二年 公儀上リ御絵図御堀幅」が示されている。また局地的に現状と正保期における堀幅が注記されているが、なかには5間近く広がっている箇所もある。このほか護岸の石組や樹木の表現も詳細で、城下絵図や文献資料では分からない佐賀城の詳細を知ることができる点で貴重である。 

2011年は1611年(慶長16年)の佐賀城築城から400年の節目にあたります。これを記念して徴古館では、第53回展「鍋島直茂・勝茂の時代」展(平成23年5月30日[月]~7月30日[土])第54回展「歴代藩主と佐賀城」展(平成23年9月26日[月]~12月3日[土])を開催しました。

 

 

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