第80回展 藩祖鍋島直茂公と日峯社

第80回展 藩祖鍋島直茂公と日峯社展

平成29年5月29日(月) ~7月29日(土)

戦国時代に肥前を領した龍造寺隆信公の戦死後は、隆信公のもとで武功を重ねていた義兄弟にあたる鍋島直茂公が国政をリードしました。家臣団統制文禄・慶長の役への出陣などを通じ、佐賀藩主としての鍋島家の地歩を固めました。
江戸時代の中ごろ以降、その言行は武士道論「葉隠」でも回顧され、歴代藩主の藩政運営においても重視され、明和9年(1772
)には直茂公(日峯明神)を祀るため8代藩主鍋島治茂公により日峯社(現在の松原神社)が創設されました。本展では直茂公の没後400年を機に、藩祖としての業績と後世における藩祖顕彰の様相をご紹介しました

 第80回企画展「藩祖鍋島直茂公と日峯社」図録

¥500

平成29年5月発行
A4版 48ページ

佐賀藩主としての鍋島家の地歩を固めた藩祖鍋島直茂公の没後400年を機に、その業績と後世における藩祖顕彰の様相を紹介。

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展示風景

 

 

 
 
 

 

 

 

新発見!!  幕末の佐賀城下を写した古写真を初公開

慶応3年(1867)、直茂公の没後250年を記念し、松原神社の参道にあたる新馬場で祭礼が催されました。本展では、その様子を写した古写真を初公開。佐賀城下の屋外の様子を写した江戸時代にさかのぼる古写真は他に例がなく、本展の事前調査で新たに確認されました。
舞台か摂待茶屋とみられる二階・三階建ての建物の軒先に雪洞が垂れさがり、山車が曳かれ、三味線行列が練り歩くなど当時の賑わいを伝える貴重な古写真です。

豊臣秀吉が鍋島直茂に宛てた書状を初公開

天正10年(1582)京都でおきた「本能寺の変」の約1ヵ月後の手紙。直茂から贈られた南蛮帽子へのお礼も記されており、直茂が龍造寺隆信の家臣だった頃から秀吉によしみを通じていたことが分かります。こうした内容と、天地10cmほどの小ささから、本状は密書とされています。
本資料は『佐賀県史料集成』編纂に伴う調査で昭和29年に存在が確認され、同書には活字が収載されていますが、原本の展示公開は本展が初めてとなりました。


おもな出品資料


朝鮮軍陣図屏風
 
鍋島直茂像
 
龍造寺隆信像

葉隠(山本本)
 
鍋島直茂宛て
豊臣秀吉朱印状
 
龍造寺高房像

豊臣秀吉書状
 
 
鍋島更紗花篭図掛軸

鍋島直茂・勝茂宛て
豊臣秀吉朱印状
 
鍋島直茂宛て
豊臣秀吉朱印状
 


明三彩盤


乍恐書置之覚
 
豊臣秀吉朱印状
(慶長役陣立て)
 
鍋島直茂宛て
豊臣家五奉行連署状

肥前名護屋城跡図
 
水ヶ江御城図
 


井戸大茶碗

 

出品目録 

※特記のないものはすべて公益財団法人鍋島報效会所蔵

 

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