1冊 古川松根 書 江戸時代後期
縦26.4cm 横18.4cm 罫紙墨書 冊子装 鍋109-7
10代佐賀藩主鍋島直正の側近だった佐賀藩士古川松根。松根が記した直正の言行録「古川松根筆記」には様々なエピソードが収められており、中には、蒸気船運航に関するものもある。直正は、安政5年(1858)に入手した初の蒸気船電流丸を、翌年の参勤にあたり大里(小倉)渡海に用いた。さらにその翌年、江戸から佐賀への下国に際しても、兵庫から大里(小倉)まで瀬戸内海を電流丸で航行した。その際に同行した松根は、蒸気船を珍しく思った小倉藩士で歌人の西田直養との和歌の応酬の中で、こう詠んでいる。
__東の遠のみかどの 御つとめの 事はて玉ひ 肥の国に
__帰り玉ふと 津の国の 武庫の港ゆ けぶり立つ
__東の船に 召し玉ひ 碇取り揚げ 朝びらき
__せさせ玉へば ただ向かふ 風もきらはず ただ向かふ
__浪もいとはず 射る矢なす いゆきはしらひ 天ざかる
__遠くはるけき 海路をし 幾かもあらず
__豊国の 柳が浦の 岸近く 御船ははてぬ 国々に
__国知る君の さはなれど かかる雄々しき 業をしも
__始め玉ふは 我君ぞ 初めなりける しかれこそ
__崇き卑しき おしなべて 神の如くは 言ひ継ぐらしも
蒸気船による初の参勤交代を偉業と捉え、神格化され後世に名を残すほどと讃えたのである。直正は逝去2年後の明治6年(1873)に松原神社に祀られた。生誕100年にあたる大正2年(1913)には、松原神社に程近い西側の場所に銅像が建立された、代表的業績を示す台座レリーフ板には蒸気船建造の様子も彫り表された。昭和8年(1933)には、創建された佐嘉神社に御遷座され、その偉業は松根の予言通り、神として語り継がれていく。
本品は「蒸気軍艦を入手せよ!! ―江戸後期の長崎警備」展(平成27年7月6日~9月12日)に出品しました。