史跡の保存

公益財団法人鍋島報效会では、佐賀藩および佐賀藩主鍋島家にゆかりの史跡を維持・保存することにより、多くの方々が歴史に触れる機会を提供したいと考えています。

 

鍋島家春日御墓所

   

佐賀市大和町大字久池井

明治4年(1871)に逝去した10代鍋島直正は東京麻布の賢崇寺境外に葬られ、佐賀の春日山には毛髪が納められた。現在は盛姫や継室の筆姫、側近の古川松根とともに賢崇寺からここ春日御墓所に改葬され、平成11年2月からこの地に眠る。また平成28年1月から明治維新後の墓所である青山墓地の改葬も実施し、11代直大夫妻をはじめ、12代直映・13代直泰・14代直要各夫妻が眠る墓所となっている。

  

十可亭跡公園

   

佐賀市大和町大字梅野

10代鍋島直正は秋の寒露の季節には、城下郊外の川上川で鮎簗や鵜飼を楽しんだ。川畔に建てられた直正の別荘である十可亭(御腰掛)は、建屋30~40坪程だったというが川上の景勝が一望できた。現在その跡地には、直正が川上で詠んだ漢詩を刻んだ石碑や案内板等などを設置し公園として当財団が整備しており、景勝を愛でることができる。

 

高傳寺墓所および御位牌所(佐賀市史跡)

   

佐賀市本庄町大字本庄

佐賀藩主鍋島家の菩提寺。藩祖鍋島直茂の父 清房を開基とする天文21年(1552)創建の曹洞宗寺院で、明治4年鍋島直大の命で各所に分散していた龍造寺家および鍋島家の墓を改葬して高傳寺に集め、現在の墓所を形作った。10代直正夫人盛姫までここで眠る。明治以降は神道にかわり、大和町の春日御墓所が拓かれた。

 

鍋島直茂誕生地・胞衣塚(佐賀市史跡)

   

佐賀市本庄町大字本庄

佐賀藩祖鍋島直茂(1538~1618)は、鍋島清房の子として本庄館に生まれた。この地には現在、直茂の胞衣塚が残っており、敷地内には日子神社が祀られている。この地の御番役は、鍋島清久の末女が堤与一左衛門貞清に嫁した縁故により、堤家が代々つとめた。江戸後期の絵図でも「御イヤ塚」に隣接して堤与一左衛門の屋敷が描かれている。

 

善應庵(ぜんのうあん)

   

佐賀市本庄町大字本庄

善應庵は2代藩主鍋島光茂延宝7年(1679)、早世した子女の菩提を弔うために建立した曹洞宗寺院。開基は同年に没した光茂8男の左内(円通院殿)。同9年には本丸持仏堂を移し早世子女の位牌を立てた。以降、10代藩主鍋島直正の子女に至るまでの歴代の早世子女を中心とする鍋島家墓所が営まれている。

 

築地反射炉跡記念碑(佐賀市史跡)

   

佐賀市長瀬町

幕末佐賀藩は長崎警備充実のため、藩独自で伊王島・神ノ島に砲台を増築した。これに伴い、嘉永3~5年(1850~52)にかけて城下の職人町である六座町・長瀬町に程近い場所に建設された大砲鋳造施設が築地反射炉である。現在は昭和16年除幕の反射炉を模したモニュメントと、復元24ポンドカノン砲が置かれている。

 

万部塔と六地蔵(佐賀市史跡)

   

佐賀市水ヶ江一丁目

玉石垣に囲まれた区画内に、西から順に整然と並び建つ11基の石塔。初代藩主鍋島勝茂から11代直大まで、歴代藩主や嫡男により国家安泰・万民安楽を祈願して法華経一万部が読誦され、その結願として建てられた。六地蔵は龍造寺家兼ゆかりと伝えられ、天文2年(1533)銘と4年銘の2基が現存している。

 

弘道館記念碑

   

 佐賀市松原二丁目

佐賀藩校弘道館は天明元年(1781)に8代鍋島治茂により松原小路に創建された。10代鍋島直正の時代の天保11年(1840)には北御堀端小路に移転拡張され、幕末維新期に活躍する多士済々を輩出した。その敷地の東端付近に大正12年(1923)に建てられたのがこの記念碑である。揮毫は12代鍋島直映、基台部分には久米邦武撰の弘道館記が刻まれている。

 

賢崇寺  鍋島家墓所(東京都港区史跡)

 

 

興国山賢崇寺は、初代藩主鍋島勝茂が寛永12年(1635)に早世した嗣子忠直の菩提を弔うため、忠直を開基として創建した寺院。以降、江戸における鍋島家の菩提寺となり、約1,000㎡の墓域に9代藩主鍋島斉直までの墓が並んでいる。境内には佐賀出身者の墓も数多い。