沿革

沿革

大正2年(1913)
11月、佐賀県民や佐賀県出身の人々の寄附により、佐賀市松原に10代鍋島直正(閑叟公)の銅像が建立され、一帯が銅像園として整備される。11代鍋島直大はこれに感謝し、同年私設の佐賀図書館を開館。
大正11年(1922)
12代鍋島直映が襲爵記念として神野別荘(神野御茶屋)を佐賀市へ寄附。
大正12年(1923)
佐賀藩校弘道館跡地に12代鍋島直映の揮毫になる記念碑が建立される。このころには銅像園一帯は、佐賀県下における文教振興の象徴となる。
大正15年(1926)
12代鍋島直映により博物館「徴古館」の建設が始まる。設計は佐藤功一事務所(担当徳永庸)、建設は清水組。
昭和2年(1927)
10月、佐賀県下最初の博物館として、徴古館が開館。当時としては珍しい洋風建築で、1階を講堂、2階を展示施設とし、肥前関係の古器物・古書画類を陳列した。
昭和4年(1929)
佐賀図書館が鍋島家から佐賀県に移管され、県立佐賀図書館となる。
昭和8年(1933)
10代鍋島直正を御祭神とした佐嘉神社が建立。のち昭和13年には11代鍋島直大を合祀。
昭和15年(1940)
8月、徴古館の運営を永続的に保全し、併せて社会教育・社会福祉助成を行うため、12代鍋島直映により財団法人鍋島報效会(以下、当会)が設立される。
昭和18年(1943)
戦時中の軍需生産・物価統制により、徴古館収蔵の旧紡績機械の一部、銅像の付属金物、弘道館記念碑の鉄柵などが供出される。
昭和19年(1944)
5月、閑叟公銅像も供出される。佐賀聯隊区司令部より徴古館の借用願が発せられる。
昭和20年(1945)
2月、徴古館の展示業務は一時中止となり、建物は接収。所蔵の文化財等は各所に分散疎開となる。その後は佐賀県世話部や佐賀放送局が利用。
昭和30年(1955)
4月、県が徴古館を借受け、佐賀県文化館を開館。昭和45年に佐賀県立博物館が新設されるまで利用。以降、当会は助成団体としての活動や関連文化財の保全管理に従事。
昭和45年(1970)
10月、佐賀県立博物館の新設を機に、13代鍋島直泰により国宝を含む伝来資料が同館へ寄託される。
昭和61年(1986)
鍋島文庫(佐賀県立図書館寄託)のマイクロフィルム化事業を平成9年まで継続実施。
平成6年~(1994)
当会の創立60周年(平成12年8月)へ向け、関連資料の総合的な有効利用を検討し、徴古館の再開を計画。前年より東京鍋島家の資料調査を始める。
平成9年(1997)
徴古館の建物が国の登録有形文化財に指定される。再開準備のため、内部改修。
平成10年(1998)
6月、博物館として再開館する。1階部分を展示施設とし、年4回の企画展示を行う。
平成11年(1999)
8月、徴古館が登録博物館の認可を受ける。
平成12年(2000)
当会の創立60周年を記念して、14代鍋島直要により国宝・重要文化財を含む文化財約37,000件が寄贈され、総合的な展示公開・調査研究が進む。
平成13年(2001)
佐賀市と連携して佐賀城下ひなまつりが開催されるようになり、鍋島家伝来の雛人形・雛道具を展示する徴古館も数万人の来館者で賑わうようになる。
文部科学省科学研究費特定領域研究「江戸のモノづくり」研究協力機関として活動する(~平成17年)。
佐賀の研究進展のため、一般公募の研究助成事業を新設。
平成17年(2005)
徴古館裏に新収蔵庫が完成。
平成18年(2006)
佐賀県立博物館・美術館に寄託していた資料、約1,000件を寄託解除し、新収蔵庫へ移動して一括収蔵する。
平成20年(2008)
6月、徴古館再開10周年を迎える。
10月、佐賀市と「徴古館を活かしたまちづくりに関する基本協定書」を締結。
平成21年(2009)
徴古館周辺整備事業に着手。
平成21・22年(2009・2010)
文化庁美術館・歴史博物館活動基盤整備支援事業「佐賀城下絵図を読み解き、まちづくりに活かそう!」採択。
平成23年(2011)
徴古館周辺整備事業完了、松原公園の設置。
徴古館を核とした「さが城下まちづくり実行委員会」を組織し、文化庁支援事業を継続実施。
平成25年(2013)
公益法人制度改革に伴い、公益財団法人へ移行。