ながさきおもてちょうれんず
江戸時代後期(19世紀) 竪166.0cm 横283.7cm 1舗 紙本着色
画面右端の西泊・戸町両番所から、高島までの範囲を描いており、長崎警備を担っていた佐賀・福岡両藩の合同調練が行われている。西泊・戸町両番所、ならびに内目の一番~三番御台場(一番・太田尾、二番・女神、三番・神崎)には福岡藩、外目の四番~七番御台場(四番・白崎、五番・高鉾、六番・長刀岩、七番・陰ノ尾)には佐賀藩が配置につき、三番御台場・神崎付近で長崎奉行が見守っている。二番御台場・女神と三番御台場・神崎の海峡には、「御當番方張切」として、当番藩の福岡藩による舟橋がつくられている。
承応2年(1653)に築造が始まったこれら七ヵ所台場には、文化5年(1808)におきたフェートン号事件を受けて増築された「新規御台場」も見える。またこれらのほかに佐賀藩独自で設置した「御自分台場」が上ノ嶌(神ノ島)、小鹿倉(小ヶ倉)、中久保などにあるが、10代藩主鍋島直正の嘉永3年(1850)から佐賀藩が築造した台場や、神ノ島と四郎島をつなぐ築切も見えないことから、19世紀前半の状況を描いたものと考えられる。
本品は、第57回展「佐賀藩 長崎警備のはじまり」展(平成24年5月28日~8月4日)で公開しました。