第3回 公家出身のお姫さま

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前回は2代佐賀藩主鍋島光茂公の娘・千姫様についてご紹介しました。
今回は光茂公の継室(※1)・甘姫(かんひめ)様について、徴古館に伝わる資料とともにご紹介します。
甘姫様は公家の中院家の出身でした。これ以降、鍋島家は中院家と度々縁組をします。



 

中院大納言通純の娘・甘姫さま
慶安2年(1649)に光茂公は最初の夫人に米沢藩上杉定勝公の息女・虎姫様を迎えます。しかし、虎姫様は明暦3年(1657)に23歳の若さで亡くなってしまいます。その後、寛文3年(1663)に中院大納言通純公の息女・甘姫様を新たに妻に迎えました。鍋島家にとって公家出身のお姫さまを迎えるのは初めてのことでした。お二人の間にはのちに4代佐賀藩主となる吉茂公が生まれます。
徴古館には甘姫様のお持ちものである香箱(※2)が伝来しています。香箱とは香木などを入れる箱のことで、香道や茶道等に用いられるほか、嫁入り道具の1つでもありました。螺鈿の白い輝きが印象的で、高さ8㎝と小ぶりながらも重厚感のある香箱です。


公家歌人と綱茂公

3代佐賀藩主鍋島綱茂公(父・光茂、生母・虎姫)は和歌や書画、能楽に熱心なお殿様でした。そんな綱茂公のお持ちものの中に「三代和歌集」があります。三代和歌集とは、古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集の3つの勅撰和歌集(※3)をあわせたものです。こちら(下図)は綱茂公が20代半ば頃に所望し、和歌や書に優れた皇族や公家に書写してもらった写本です。
このうちの一冊である拾遺和歌集は、延宝7年(1679)に甘姫様の兄である中院通茂公が書写したものです。通茂公は当時の公家のなかでも指折りの有名な歌人でした。
綱茂公が若い頃より和歌に深い関心があったのも、甘姫様のご縁が鍋島家と公家との文化的つながりをもたらしてくれたからかもしれません。
 


三代和歌集(古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集)

 

※1 最初の正室と離別・死別した後に新しく正室として迎えた夫人。
※2 梨子地木賊松葉蒔絵二重香箱(公益財団法人鍋島報效会所蔵)
※3 天皇や上皇の勅宣によって編集された公的な和歌集。

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