ついじたいじゅうせいぞうかたのず
昭和3年(1928) 青里(秀島成忠ヵ) 筆 紙本着色 掛幅装
(左)縦166.6cm 横83.2cm (右)縦166.5cm 横82.2cm
江戸時代、福岡藩と隔年交代で長崎港の警備を担当していた佐賀藩。10代藩主鍋島直正は、この先祖代々続く長崎警備の仕事に最も力を尽くした。
嘉永3年(1850)からは、神ノ島・四郎島・伊王島など長崎湾内に点在する佐賀藩領の島々に砲台を築くことで警備を強化しようとした。この図は、これらの砲台に備えるための大砲を鋳造した佐賀城下の大銃製造方(築地反射炉)の様子を描いた絵図。4炉から成る反射炉で鉄を溶かして鋳造した。反射炉の左側で裸の男たちが製品を引っ張る先では試射が行われている。
右幅の右上部には昭和3年2月に作者・青里による「佐賀築地大銃製造方及反射炉由来」が記されている。これによれば、「国家統一して工場の廃、既に六十有余年、遺址殆ど復尋すべからず、因って旧記を案じ図してこれを表す」(原漢文)といい、旧記に基づき描いたという。その左隣には昭和2年6月、祖父である直正の偉業を詠んだ12代直映(なおみつ)による漢詩が記されている。
本品は「幕末明治の鍋島家 ―大名から侯爵へ」展 第4期(平成30年11月6日~平成31年1月14日)にて公開しています。