こうのおちゃやこしゃしん 「むげんせいざんてい」・「さうあん」
江戸時代後期~明治時代初期/鶏卵紙写真
(無限青山亭・本紙)竪15.0㎝ 横19.8㎝ (茶雨庵・本紙)竪15.0㎝ 横19.7㎝
10代藩主鍋島直正公は、別邸として水ヶ江御茶屋と欄干御茶屋を造営したが、弘化3年(1846)に造営したもっとも宏壮な別邸が神野御茶屋である。公はここで藩士と親睦し御一家と遊ぶなど、晩年にいたるまで頻繁に利用した。神野御茶屋の「方百間」をほこる広大な敷地のうち、北東に位置する一棟を「無限青山亭(むげんせいざんてい)」、泉水の中島に建つ一棟を「茶雨庵(さうあん)」と称したことがこの古写真から知られ、貴重である。
「無限青山」亭の呼び名は、幕府の著名な儒学者である佐藤一斎(1772~1859)によるもので、一斎の揮毫になる同名の扁額は広間(御入座)の北側、はるか天山一帯を見晴らす場所に掲げられた(『鍋島直正公傳』第五篇)。また、中島の「茶雨庵」とは、直正公の号である「茶雨」から名付けられたものであろう。現在、同地に建つ「隔林亭」も本資料に基づき復元されたものである。
本資料は、第58回展「神野御茶屋 ―殿様の別邸」展(平成24年9月24日~12月1日)に出品しました(パネル展示)。