松浦山代家文書
まつうらやましろけもんじょ
松浦山代氏は、肥前国西松浦郡山代(現・佐賀県伊万里市北西部)を根拠に活躍した松浦党の一族。同氏の系図・年譜によれば、貞(さだむ)の代の天正7年(1579)、龍造寺隆信に従ったが隆信没後は鍋島直茂に臣従。朝鮮出兵などで活躍し鍋島の姓を許された。江戸時代には杵島郡芦原(現・佐賀県武雄市)などに2250石を与えられ、藩政に参与する「着座」の家格であった。
松浦山代家文書は建久3年(1192)に山代固が山代浦の地頭職に補任された旨が記されている「前右大将家政所下文」をはじめ、鎌倉時代初期から南北朝時代末期に至る文書66通が2巻の巻子装に仕立てられている。山代氏が松浦地方における有力な御家人であったことを裏付けるばかりでなく、鎌倉時代における所領相続・押領などに関する相論、蒙古合戦の軍功に関する文書が多いのが特徴。当時の女子相続の具体相を伝える文書や下松浦党一族の一揆契諾状も含まれている。