マンドリンを持つ少女
まんどりんをもつしょうじょ
百武兼行は佐賀城下の片田江に生まれ、8歳の時に11代鍋島直大の御相手役となり、終生その側近として仕えた。明治4年(1871)、直大の英国留学に同行し、明治7年に直大夫人胤子の御相手役として油彩画を始めた。直大・胤子夫妻は明治11年に帰国するが、百武は直大の計らいによりパリで画技習得の機会を得、フランス官学派の大家レオン・ボンナに師事した。この時に制作した本図には、人体のボリューム感や陰影表現による顔や手先の柔らかい質感表現に画技の習得ぶりが見られる。明治15年(1882)に帰国した。大正12年(1923)の関東大震災後に整理した『第一倉庫御道具帳』の「洋女提琴油繪 百武兼行筆 在食堂」がこれに相当すると思われ、12代鍋島直映の時代には東京渋谷・松濤の鍋島家本邸の食堂に飾られていたことが分かる。