龍造寺系図・鍋島系図
りゅうぞうじけいず・なべしまけいず
菱形に卍を織り出した上に宝相華文をデザインした布を表紙に貼り、特注の唐草杏葉紋を彫り出した隅金具の華麗な表装が際立つ。この両系図は同装丁であり同時に制作されたものだが、龍造寺系図の裏表紙に糊離れが生じ、「享保三戊戌歳/十一月吉日造之/京都室町通松原上ル町/若井利左衛門」との墨書が確認できる。若井利左衛門は菩提寺高伝寺の大涅槃図を模写し佐賀へ納めるのに尽力した京都の経師屋。鍋島宗茂が17歳から15年をかけた両系図は「古今之士庶、親疎・遠近・貴賎を択ばず、老若男女・僧尼の輩、皆悉く筆記す」(『宗茂公御年譜』)とあるように内容も充実。本流を金線で傍流は赤線で記し区別する。本年(1718)は4代鍋島吉茂(2代光茂次男、3代綱茂異母弟)の時代で、宝永4年(1707)42歳での家督相続以前に藩政資料に目を通したといわれ、藩祖鍋島直茂・初代鍋島勝茂の年譜作成、葉隠の成立も彼の治世であり、復古主義的藩政改革に着手。このような事情で系図も作成されたか。鍋島系図には五代鍋島宗茂の子女まで(宝暦3年・1751)の書き込みで終る。