五十首和歌并に飛鳥井雅豊卿追詠
ごじゅっしゅわかならびにあすかいまさとよきょうついえい
2代鍋島光茂七回忌の追善のために、3代綱茂が中院通茂卿(1631-1710)をはじめとする公家衆へ所望し、各々が法華経の題を用いて詠んだ和歌短冊・50葉が貼り合わせられた手鑑。3代綱茂、4代吉茂の詠歌も含まれている。折本の銀製隅金具は牡丹に蝶、鳥を彫出した装丁で、これが黒塗箱・朱塗箱・黒塗宝相華唐草蒔絵箱・白木箱の四重箱に納められて七回忌法要の数日前に佐賀城本丸持仏堂に到着し、光茂霊前に供えられた。宝永3年5月16日の法要当日には光茂に仕えた山本常朝らにより読みあげられ、菩提寺である高伝寺へ奉納され、のち大正14年(1925)に鍋島家へ返納された。「如是我聞 かくこそときくのした水うち出て つきぬなかれをみるもかしこし」(中院通茂)ほか。飛鳥井雅豊による追詠和歌1葉と、五十首法華経題と作者を記した折紙が添えられている。