鍋島直正品川台場巡視之図
なべしまなおまさしながわだいばじゅんしのず
嘉永6年(1853)、浦賀にはアメリカからペリー、長崎にはロシアからプチャーチンが来航しそれぞれに開国を要求した。長崎には佐賀藩が独自に増築した新砲台が完成しており、万全の警備体制のもと毅然とした談判ができ、将軍家定はその活躍を賞して10代鍋島直正に「去年の秋以来、ロシア軍艦来航に際して警備行き届き候」とねぎらった。一方の江戸湾は大慌てでアメリカとの交渉は譲歩を重ねた。これを機に江戸湾の防衛強化が課題となり、幕府は品川への砲台建設を急きょ決定した。そこで幕府は品川台場の備砲として佐賀藩に鉄製大砲50門を注文し、佐賀藩は多布施公儀石火矢鋳立所で大砲鋳造にあたった。完成した大砲は順次、江戸湾へ回漕され品川台場に設置された。本図は安政3年(1856)2月直正が実地検査のため品川台場を訪れた時の様子を描いたもので、左下に試射を見守る直正が描かれている。