神野御茶屋古写真
こうのおちゃやこしゃしん
神野御茶屋は、弘化3年(1846)に10代佐賀藩主鍋島直正が造営した別邸。「方百間」と言われる広大な敷地のうち、北東に位置する建物を「無限青山亭(むげんせいざんてい)」、泉水の中島に建つ釣殿を「茶雨庵(さうあん)」と称したことが、この二枚の古写真から知られ、貴重である。
「無限青山」の名付けは、幕府の著名な儒学者である佐藤一斎(1772~1859)によるもので、一斎の揮毫になる同名の扁額は広間(御入座)の北側、はるか天山一帯を見晴らす場所に掲げられた(『鍋島直正公傳』第五篇)。また、中島の「茶雨庵」とは、直正の号である「茶雨」から名付けられたものであろう。