錆色塗紺糸威仏二枚胴具足
さびいろぬりこんいとおどしほとけにまいどうぐそく
明治29年、成富濶氏より献上された成富兵庫茂安(1560-1634)所用の具足。茂安は龍造寺隆信、鍋島直茂・勝茂に仕えた武将で、河川改修、溜池築造など水利治水事業の治績が現在もたたえられる。『成富家譜』(鍋島文庫)によれば、天正17(1589)年に加藤清正、小西行長が天草の土豪天草伊豆守らを攻めた折、成富兵庫茂安も参戦して武功を立てたため清正から拝領し、文禄・慶長の役の時に着用した具足と伝えられる。仏胴とは、継ぎ目がなく一枚の板のようになっている胴のことで、桃山から江戸初期にかけて流行した。兜は桃形兜といい、当時の九州地方で盛んに作られた形式で、佐賀藩や福岡藩、柳河藩でも多く使われた。ただし、鹿角と蔦紋の前立ては後世のもの。