正保御城下絵図
しょうほうごじょうかえず
正保御城下絵図は2点が残るが、ともに原本ではない。本図は天保3年(1832)の書写本で、もう1点は天保書写本をもとにした明治22年(1889)の再書写本である。慶長期では描かれていなかった唐人町が本図で初出し、西限も広がって六座町までだった慶長期に対し本図では長瀬町まで描かれている。こうして正保期に広がった城下の北限と西限は、これ以降の各期においてもほぼ変わらない。町名の記載が始まるのも正保期で、長瀬町、六座町、唐人町、白山本町、高木町新町、上今宿町の六町名が記されている。ただし町屋を表す模式的な家形が連なる地域はこの六町以外にも広がっているから、当時存在した町名すべてを記載しているわけではない。