収蔵品紹介

慶長肥前国絵図

けいちょうひぜんくにえず

慶長10年(1605)諸大名は幕府の命により国絵図と郷帳を作成・提出した。天保8年(1837)の模写本と、それをもとにした明治前期の再写本の2本が現存する。河川は青、道路は赤、国界は黒、郡界は白、藩領界は茶で色分けされ、地名は長方形の枠内に記入され、その横に石高が付されている。また郡別に大きな長方形の枠をつくり、その総石高・田畑面積・寺社領石高・物成・小物成が記されている。筑後との境から長崎までのいわゆる長崎街道の経路は、田代・瓜生野宿・轟木宿村・寒津・竜蔵(造)寺城・八戸・加世(嘉瀬)・牛津町・山口で分かれ、一方は六角・須古郷・高町・常広城(鹿島)の先で分かれ、一方は塩田・大草野・嬉野へ、常広城の先でもう一方は浜町・長田村(高木郡)へ、山口で分かれたもう一方は小田・大町・焼米・志久・北方・高橋町・花島・志田・塩田へつながる。江戸時代初期の街道の状況がうかがわれる。

江戸時代


竪234cm 横249cm

掲載図録

●図録「名刀と古文書の世界」第2版(平成24年)


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